茨城県生まれ。本名、飯島孝雄。54年東京教育大学芸術学科卒業。
53年からデモクラート美術家協会参加。58年ニューヨークに渡り前衛芸術集団「フルクサス」に参加。この頃からレインボーカラーを用いた独自の表現行為を行う。70年《レインボー北斎》で第7回東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞受賞。他にもバンクーバー国際版画ビエンナーレ展特別賞、ジャパン・アート・フェスティバル外務大臣賞、リストウエル国際版画ビエンナーレ大賞等、受賞多数。
すべての色彩を使いたいという作家の思いが、虹のスペクトルという発想に結びつき多くの作品を生み出している。そのモティーフと相まって、作家の自由でポップな精神の在り様が伝わってくる。
2009年1月三鷹市美術ギャラリーにて「レインボー喜寿靉嘔」展開催。
大阪府生まれ。1958年府立天王寺高校卒業。
翌年上京し制作活動にはいる。63年南画廊で初めての個展。翌年から、均質化されつつあった画面に人体の部分が現れ始める。この頃の作品が《レイチェル》である。
また65年には4つの人型を黒人暴動の写真から抽出し、以後現在に至るまでその“人型”を独自の展開のもとに画布に描き続ける。83年美術文化振興協会賞、89年日本芸術大賞受賞。92年セゾン美術館等で回顧展開催。
2001年9月三鷹市美術ギャラリーにて「宇佐美圭司・絵画宇宙」展(福井県立美術館、和歌山県立近代美術館と共同主催)開催。
「私たちが指向する場とは現実の世界にはない。それは観念の中に構築され、一枚の紙片、一枚の布の上に定着されたモデルに他ならない」という作家の言葉にその姿勢がうかがわれる。
宮崎県生まれ。本名、杉田秀夫。
1925年日本美術学校洋画科に入学、油絵の制作を始める。1927年同校を中退、美術評論を書き始める。
30年から写真研究及び批評開始。32年写真評論から離れて再び油絵の制作を行う。
36年新時代洋画展同人となり瑛九を名のる。同年最初のフォトデッサン作品集『眠りの理由』出版。
37年自由美術家協会結成、第1回展にフォトモンタージュを発表。50年からエッチング、56年からリトグラフ開始。51年にはデモクラート美術家協会結成に参加(57年解散)。
現代美術の先駆者として幅広い抽象表現を展開した。
東京都生まれ。病弱で中学校中退。あらゆる知識を独学で得る。
53年自ら設計した銅版画プレス機で制作を始める。 55年《植物》(私家版)刊。
56年最初の個展。始めは銅版画でモノクロ世界を表現するが、後に亜鉛板を用いた金属版画で色彩が現れる。
59年リュブリアナ国際版画ビエンナーレ展近代美術館賞、61年第6回、65年第8回日本国際美術展優秀賞、62年第3回東京国際版画ビエンナーレ東京国立近代美術館賞等受賞多数。
モノクロームの画面に絶対の宇宙を創造するかのように出発した作家が、絶え間なく流動する色彩に見ているものは時間の流れか、宇宙の摂理か。
山形県生まれ。 24年山形第一高等女学校卒業の後上京、川端画学校洋画部や岡田三郎助研究所に通い画家を志す。28年から1930年協会洋画研究所に学び里美勝蔵らに教えを受ける。
30年に創立された独立美術協会の第1回独立展に入選(31年)以後、同展への出品を続ける。39年三鷹市下連雀へ転居(戦中は山形へ疎開するが、戦後再び三鷹に居住)。
戦後は、独立展への出品に併せて47年雑賀文子、三岸節子らと女流画家協会を創立する。また同年に第2回新興日本美術展読売賞受賞。翌48年には《人物》2点独立賞受賞。54年独立美術協会会員となる。独立展、女流画家展をはじめ秀作美術展、現代日本美術展等出品展多数。
79年「桜井浜江画業展」(山形美術館)ほか、95年には青梅市立美術館にて「桜井浜江展−画業65年の軌跡」が開催される。力強い筆致と生命感に溢れる画風は、晩年にあたる作品《黒い波》においても発揮されている。2007年2月没。