東京大衆歌謡楽団 〜昭和の名曲を唄う〜
あの日、あの時、あの場所で 今、昭和の思い出が鮮やかによみがえる
本公演は終了しました
2015年 9月23日(水・祝) (1)14:00 (2)17:00開演
【全席指定】 | 各回 会員2,700円 一般3,000円 |
* | 未就学児は入場できません。 |
【出 演】 | 東京大衆歌謡楽団 |
【演奏予定曲*】 | 東京ラプソディ、旅の夜風、誰か故郷を想わざる、青い山脈 ほか |
* | 変更になる場合がございます。 |
今歌う 忘れかけた心を照らす唄
昭和生まれ平成育ちの3人組、東京大衆歌謡楽団。唄の髙島孝太郎、アコーディオンの髙島雄次郎、ウッドベースの髙島龍三郎の3人による兄弟ユニットで、コンサートホールや上野、浅草などの街頭での演奏も行い、中高年の方々から熱烈な支持を得ています。
もともとは世界の民族音楽をテーマに活動していた8人組のバンド仲間でしたが 、たまたま演奏した昭和歌謡に様々なジャンルの音楽が凝縮されていることに気付いたことがきっかけで昭和初期の流行歌にのめり込み、バンド解散後の平成21年に「東京大衆歌謡楽団」を結成しました。
今回演奏される予定の曲目は、どれも昭和の時代を彩った名曲の数々ばかり。ロイド眼鏡をかけて直立不動で唄う髙島孝太郎、レトロな情緒を漂わせ、スイングしながら演奏するアコーディオンの雄次郎とウッドベースの龍三郎が一瞬にして皆様を古き良き昭和初期の東京への時間旅行にいざないます。
東京大衆歌謡楽団と客席の皆様が一緒に唄うコーナーもあります。懐かしいあの日、あの時の思い出が鮮やかによみがえるコンサートをどうぞお楽しみに。
あなたにとっての昭和の名曲を教えてください!
数多くある昭和の名曲のうち、思い入れのある歌はありますか?
公演当日、東京大衆歌謡楽団が演奏してくれるかもしれません。
あなたにとっての「昭和の名曲」と「昭和の思い出」をお書き添えのうえ、下記までお送りください。
【応募方法】 | 氏名(ふりがな)/年齢/ご住所/電話番号/昭和の名曲と思い出をご記入いただきました用紙を、 FAXもしくは郵送でお送りください。ハガキでのご応募も承ります。 |
【郵 送】 | 〒181-0012 三鷹市上連雀6-12-14 三鷹市芸術文化センター「東京大衆歌謡楽団」係 |
【FAX】 | 0422-47-6700 |
【応募締切】 | 9月1日(火)必着 *郵送の場合は当日消印有効。 |
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希望曲が公演の構成上、採用されない場合もあります。予めご了承ください。 個人情報につきましては、本公演以外には使用いたしません。 |
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東京大衆歌謡楽団は、昭和生まれ平成育ちの3兄弟、 唄・髙島孝太郎、アコーディオン・髙島雄次郎、ウッドベース・髙島龍三郎によるユニットで、 昭和初期の流行歌の数々をレトロな雰囲気を漂わせて演奏し、上野や浅草などでの 街頭演奏や各地のコンサートホールで中高年の方々から熱烈な支持を得ています。 9月23日に三鷹市芸術文化センター星のホールで公演を行う彼らにお話を伺いました。 |
池袋でスケートボードをやっていた仲間と、民族音楽のバンドを作ったのが始まりでした。
──皆さんにとって音楽は、身近な存在だったのでしょうか?
孝太郎 3人とも幼稚園から小学校の低学年までは僕はヴァイオリン、弟たちはピアノを親に無理やりやらされていましたが、その後はサッカーをやったりして特に音楽に携わることはありませんでした。僕たちは富山県出身なのですが、高校卒業後に東京に出てきて、よく池袋でスケートボードをやっていたのですが、19歳になった頃、僕と雄次郎を含めてスケートボードの仲間たち8人が、「民族音楽をテーマにして現代アレンジをして若者が楽しめるような音楽を作ろうじゃないか」ということでバンドを始めました。それがもう一度音楽をやるきっかけになりました。当初は、池袋の街角でスケートボードに乗りながら楽器を弾いたり、公園に集まって、夜、お酒を飲みながら弾いたりしていました。
──それが、どのようにして昭和歌謡の方に結びついたのでしょうか?
雄次郎 民族音楽をやっていた時に、日本のものもやってみようということになり、民謡だととっつきづらいので、歌謡曲にしようということになり、戦前の昭和歌謡の、例えば「りんごの唄」「青い山脈」「銀座カンカン娘」などを聴き始めたら、「意外といいね!」と兄と言いながら、だんだんのめり込むようになり、僕らはそちらに向いていくようになりました。そしてバンド解散後に、昭和歌謡をやり直そうと思ったんです。
──2009年4月、結成した頃はどんな感じでしたか?
孝太郎 街で生演奏をする人がいたら素敵だろうと思い、街角で懐メロを演奏するバンドになろうと、最初はお花見の上野公園で、次に立川の昭和記念公園、その次に浅草の隅田公園内で演奏しました。
──お客さんの反応はいかがでしたか?
雄次郎 最初は、「もっと新しい曲やってくれよ。橋幸夫とか都はるみとか、それが俺達の青春なんだ。」と言われることが多かったのですが、今は「私の親父が歌っていた歌だ。昔はそうは思わなかったけど今聴き直すといいもんだね。」と言ってもらえるようになりました。
──隅田公園で運命的な出会いがあったそうですが…
孝太郎 演奏をしに隅田公園に行った時に、まさに僕たちのやっているような懐メロを既にハーモニカやギター、ヴァイオリン、アコーディオンで演奏していた人たちがいて、声を掛けてくれたんです。そして「一緒にやろう」と言われて「啼くな小鳩よ」を演奏しました。そうしたら、僕たちだけではできなかった大きな輪が目の前に広がっていき、年配の方を中心としたお客様が非常に喜んでくださって…「この人達からもっと勉強しなければいけないな」と思ったんです。それがきっかけで、隅田公園に通うようになりました。今では人が集まりすぎて演奏できなくなってしまったんですが、それがお客様の輪が広がっていくきっかけとなった舞台です。
──龍三郎さんは、今年の3月にメンバーに加わったそうですね。入る前はお兄さんたちのバンドをどのように思っていましたか?
龍三郎 最初は「何でこんなことをしているんだろう?」という感じでしたが、浅草の三社祭の夜に兄たちが雷門の付近で演奏していた時に、僕もそこにいたんですが、色々な年代の人たちが輪を作って盛り上がっているのを見て、「素晴らしいことだな」と感動しました。その後、メンバーとして入ることを誘われて。その時は会社員をしていたので、すぐには決心できませんでしたが、「やってみよう」という気持ちになりました。
孝太郎 前任のベースのメンバーが辞める話が出た時に、頼める人がいなくて雄次郎と悩んでいた時に「体も大きいし弾かせるしかないと…(笑)」
龍三郎 絶対的な権力ですよね。いや、そんなことはないんですけど(笑)。
──敬愛する歌手はどなたですか?
孝太郎 藤山一郎さん、松平晃さん、楠木繫夫さん、東海林太郎さん…他にもたくさんいる当時の歌手の方たちのほとんどが好きです。
龍三郎 初めていいと思ったのが、兄の歌っていた「青春のパラダイス」という曲で、岡晴夫さんの歌はYouTubeで何回も見させていただきました。
──歌い方のスタイルが東海林太郎さんに似ていらっしゃいますね。
孝太郎 東海林太郎さんがどのように歌っていらしたか僕は知らなかったんです。でも、街角でマイクなしで歌うので、最初は手のやり場に困って…直立して歌っていたら「君の歌い方は東海林太郎さんだね」と言われました。後に東海林太郎さんが「ステージは神聖な場所」と何かに書いていらしたのを見て「真っすぐな気持ちで音楽に向き合わねば」と考えて、あまり動かないようにしたということはあります。
──今回のプログラムから、いくつかご紹介いただけますか?
孝太郎 映画『愛染かつら』の主題歌「旅の夜風」は毎回演奏します。それから「東京ラプソディ」は結成当時からずっと演奏し続けているので、他の方たちには出せない独特の雰囲気があるのではないかと思います。
歌詞を噛みしめると、聴くたびに泣いてしまう曲があります。
──昭和歌謡は、日本語の歌詞が美しい曲が多いですよね。
孝太郎 「白い花の咲く頃」という曲を今回も演奏しますが、僕は岡本敦郎さんの歌うオリジナルを聴くたびに必ず涙が出てしまって、未だに自分が歌っても泣いてしまうんです。皆さんも歌詞の内容を噛みしめて聴いていただけたら嬉しいです。僕もその世界観をしっかり表現できるように頑張って歌います。
──リクエストのコーナーもありますよね。
孝太郎 事前にお客様からいただいたリクエストの中から2曲か3曲選んで歌詞もご用意し、皆さんと一緒に歌いたいと思いますので、よろしくお願いいたします。
──6月にコロムビアレコードからデビューCD「街角の心」の発売おめでとうございます。今後の抱負をお願いいたします。
孝太郎 隅田公園で6年間演奏してきた中で、お客様からいただいた優しさ、見なければいけない方向といったものが詰まっているような曲を選んだつもりです。聴いていただくと、少し心に温かいものが流れてくるような気持ちになれるのではないかと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
雄次郎 若い方から年配の方まで、皆で楽しめる音楽というものをできるように頑張ってまいります。
龍三郎 ひとつひとつの音楽をしっかり表現できるように日々努力してまいります。どうぞよろしくお願いいたします。