(公財)三鷹市芸術文化振興財団設立20周年記念
《三鷹市ゆかりの二人のアーティスト》沼尻竜典&塩谷哲
「再会〜三鷹の想い出・現在・未来を語る」友の会
MARCL 謝恩企画 トークイベント
沼尻竜典 ©三浦興一
塩谷哲
終了しました
2015年 7月19日(日) 11:30開演
【会 場】 | 三鷹市芸術文化センター 風のホール |
【参加費】 | 無料 |
【対 象】 | MARCL会員または三鷹市民 |
【定 員】 | 360席 *全席指定 *未就学児は入場できません。 |
【出 演】 | 沼尻竜典(ぬまじり りゅうすけ)&塩谷 哲(しおのや さとる) *演奏の予定はございません。 |
【申込開始日】 | 6月9日(火) Tel:0422-47-5122(電話申込み) |

このたび三鷹市芸術文化振興財団設立20周年を記念して、三鷹市出身の二人のアーティストによるトークイベントを開催いたします。
風のホールを本拠地とする、トウキョウ・モーツァルトプレーヤーズの音楽監督でおなじみの指揮者であり、びわ湖ホールの芸術監督、また、ドイツのリューベック歌劇場音楽総監督も務めるマエストロ、沼尻竜典。
また、本年1月の三鷹市公会堂での「SALT&SUGAR」公演でヴォーカルの佐藤竹善と出演し、現在NHK Eテレで再放送中の番組「趣味どきっ!塩谷哲のリズムでピアノ」(毎週水曜日21:30-)の講師も務めるピアニスト、塩谷哲。
この二人は、三鷹市立第三中学校に2学年違いで在籍し、共にコーラス部に所属しつつ、その頃から音楽の才能を開花させていました。
二人が、30年以上の時を経て、ゆかりの地三鷹で再会し、音楽的な活動の原点ともなった中学生時代の思い出、現在、そして今後について語ります。
本事業は、財団友の会謝恩企画となっておりますが、このたび三鷹市民枠を新たに設けました!また、これに伴い、お申込枚数の上限は、会員・市民共に設けないものといたします。
公演会場では見ることのできないアーティストの表情をご覧いただけます。この機会に皆様どうぞお気軽にご来場ください!(入場無料)
♪ 二学年違いで在籍していた三鷹市立第三中学校時代について ♪
塩谷 僕が1年生で入った時、3年生の沼尻さんはコーラス部で伴奏をしていらして、時々「こんなの面白くない」と言って、結構適当に変えて弾いていらっしゃるんですよ(笑)。それが本当に素晴らしくて、もう、いちいち格好良かったんですよ! こんな風に弾ける人がいるんだって思いましたね。
沼尻 中学校の副教材に載っている「見上げてごらん夜の星を」などを勝手に変えて弾いていました。当時は格好良いなんて、あまり言ってもらえなかったですけどね(笑)。
塩谷 ただ譜面に書かれているものを上手に弾くだけではなく、音楽的にも素晴らしい力のある先輩がこんなに身近にいたなんて。本当に大きな影響を受けました。
沼尻 今となっては、私は譜面通りに音楽をやる仕事をしていて、逆に塩谷さんはあまり譜面通りにはやらない仕事。反対になっちゃいましたね(笑)。
塩谷さんは合唱コンクールで曲を作られていたとか。
塩谷 三中では校内合唱コンクールというのがあって、3年の時に、せっかくならクラスでオリジナルの曲を作っちゃおうということになりまして、当時、文学少女の子が詞を書いて、それに合わせて混声四部で合唱曲を作りました。今聞いたら、稚拙でしょうがないのですが、その曲で優勝しました。オリジナルなんてずるいよ、とか言われましたけどね。その時から何かを形にしたいという欲求があったのかもしれないですね。
合唱部の後輩の方からいただいたメッセージ「沼尻先輩って足が速かったですよね」「リチャード・グレーダーマンを弾いていましたね」について
沼尻 体育は全然ダメだったのですが、足だけは速かったんですよ。「うんてい」とか「のぼり棒」とか腕を使うものは全部ダメで、すぐ落っこちてしまいます。ただ、幅跳びとか高跳びとか、普通の駆けっことか足を使うことは割と得意でしたね。リチャード・グレーダーマンは好きだったわけではなく、流行っていたんで。弾きながらカメラ目線で微笑む(笑)。ウケましたね。
♪ プロになられてから ♪
沼尻さんはリューベック歌劇場の音楽総監督に就任されて、本拠地をドイツに移されましたが、今の生活はいかがですか。
沼尻 リューベックは、ハンザ都市同盟といって、今のTPP(環太平洋戦略的経済連携協定)のような自由貿易をやって栄えた町なんです。海があるのでお刺身の移動販売みたいな車が街にやってきたりして、その点では日本人にはありがたく、割と暮らしやすいと思います。
ドイツ人は仲良くなるまでに時間がかかりますが、北ドイツは人が好いので付き合いやすいですね。とにかく冬は寒いです。湿度が日本とは違うので、体感的には気温程は寒くないような気はしますけど。これだけ寒いと、哲学が発達するだろうなという感じはありますね。南米と違って、外で寝たら死んでしまいますから。寒くてやることがなければ、「人間はなぜ生きている」とか、色々考えるんですよね。
塩谷 南米は暖かくて食べ物もたくさんあって、放っておいても死なないですからね(笑)。文化の違いは生まれますよね。
塩谷さんは南米などに、ツアーで回られたりしていらっしゃいましたね。
塩谷 僕はオルケスタ・デ・ラ・ルスというサルサ・バンドに20代の頃10年いて、カリブ海や南米の国々などへは行っていました。現地では外国人タレントになるのですが、まるでビートルズが来たような感じで熱狂的に迎えてもらいました。しかし僕たちが出演するフェスティバルに、前座で出演する地元のバンドの演奏が、本当に素晴らしいんですよ! 自分たちが憧れていたものが、そこにあるわけで、本物はこっちだったんだ、って。当時、結構知名度もあり、お客さんもメインの自分たちを見に来てくれていたのですが、勘違いしてはいけないな、と強く思いました。ラテン音楽に根付いたリズム、踊り、歌、演奏、全ての理由がそこにあったんですね。それを感じて、日本人である僕ができることは何か、と考えるきっかけになりました。
その後、塩谷さんは多様なジャンルで、色々な方と共演を重ねています。
塩谷 非常にありがたいことですね。クラシックは芸大に入るために勉強し、作曲科で学び、実際その世界に入ってみて奥の深さに吃驚しました。全く対極にあるサルサも、これはこれでとても深いことを経験して…。また、ジャズはジャズで即興演奏の魅力などあって、僕はそれぞれに対するリスペクトが強くあります。例えば、J-POPの曲のアレンジをする時にでも、その人の中の音楽の魅力を感じますし。そうするうちに、ジャズはこう、ラテンはこう、といった固定観念を持たなくなってきたんですね。そのものの本質的な音楽というところに注目するようになって、多ジャンルの相手からも共感を生むのかもしれないですね。
沼尻 塩谷さんはアカデミズムの総本山の芸大で勉強していたので、逆にポップスを新鮮に感じることができるんじゃないですかね。歌謡曲でも、本当にいいものもあるんですけれど、最近は「このような歌詞を入れると売れます」というのがデータ化されてしまっているので、どうしても「さぁ〜この翼広げあの空へ飛んで行こう」みたいな曲ばっかりになる(笑)。売れたものが勝ちといった思想になってしまっているようにも感じますね。クラシック界はそればかりではないから、今の世の中は非常にやりにくい。例えば、大阪のオーケストラが補助金を切られましたが、それなら売れる曲だけやって生き残れば良いのかというと、それでは長期的には大変まずいことになる。
音楽総監督の沼尻さんのお仕事について
沼尻 小さな歌劇場ですので、広報宣伝から楽譜の手配の指示、メンバーリングまでしなければいけない場面もあって、例えばあるオーケストラのメンバーが家族の誕生日で休みを欲しがっているからどうするかとか、日本だったら聞かれないようなことまで判断させられます。シーズン中の休暇には音楽監督のサインがいるんですよ。その人が休むことで、音楽的にマイナスになる場合もあるので、この演奏会を息子の運動会で休んでいいか判断してくださいとか(笑)。大抵はOKしますけどね。
塩谷さんは、昨年はNHKのEテレ「塩谷哲のリズムでピアノ」という番組で講師をされました。
塩谷 リズムに対する意識というものが、日本はすごく低いんじゃないかと常々思っていまして、これはポップスやジャズといったリズムが前面にくるような音楽だけではないんです。むしろクラシックにおいても、舞曲は当然そうですし、それ以外のことに関しても色々と、自分の中からリズムとかグルーヴ感とか生み出していく意識を持った方がいいんじゃないかということを言い続けていました。大学で学生に教えるようになって、学生はすごくうまいんですけど、体から出てくるリズムというのを感じられないんですよね。そういったことも関係して「リズムでピアノ」という番組を創ったわけなんです。
沼尻 日本人の弱点として、やはりリズムが一番気になりますか?
塩谷 そうですね、例えば音をつなぐところで、一旦止まっちゃうんですよ。フェルマータやテヌートって、ストップではないじゃないですか。動いていて、次にいくという、その加速というか、そういう意識をあまり感じられない人が多いというのが正直なところですね。
♪ 今後について ♪
塩谷 ジャズであっても、他のジャンルであっても、とても素晴らしいものはあるので、そこを目指していきたいですね。また、自分の創る音楽が、音楽だけではない、ドラマだったり、映画だったり、そのようなものに生かされるということにも大変興味がありますので、そちらの方にも少しずつ向いてやっていきたいなという思いもあります。
沼尻 日本のクラシック業界は制作する側から見ると、通常の定期演奏会より派手なイベントの方が、注目も集めるのでやりやすい。普通に名曲を演奏するといっても、なかなか記事になりませんが、異ジャンルとの交流や、有名外国人の招聘などでイベント的な扱いとなれば、新聞雑誌で紹介されやすいですしね。ただ、リューベックでの活動なども経験して最近思うのは、こういった地域のホールの通常の一見地味な企画に、近隣の方々が普段から気軽に通うのがとても大切だということです。市内にホールがあって、地域の中の音楽や文化が、そこを中心にどう展開されていくのかということに、最近とても興味を持っていますし、できる範囲でその展開のお手伝いができればと思っています。