水素74%+三鷹市芸術文化センターpresents
太宰治作品をモチーフにした演劇公演 第12回
『わたし 〜抱きしめてあげたい〜』
作・演出:田川啓介
太宰治作品をモチーフに、異才・田川啓介が描く、誰しもが抱えて生きていく、「わたし」の物語。
本公演は終了しました
2015年 6月27日(土)〜7月5日(日) 全10公演
*上演時間1時間20分(途中休憩はございません)【全席自由】 | 日時指定・整理番号付 【会員】前売2,500円・当日2,700円 【一般】前売2,800円・当日3,000円 【学生】2,200円(前売・当日とも) 【高校生以下】1,000円(前売・当日とも) ☆早期観劇割引(前売のみ)【会員】2,200円 【一般】2,500円 |
* | 中学生以上の方は公演当日に学生証または年齢が確認できるものをご持参ください。 |
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500円、対象:1歳~未就学児、定員10名、要予約(2週間前まで) *未就学児は入場できません。*7/4(土)のみ |
【作・演出】 | 田川啓介 |
【出 演】 | 玉田真也(玉田企画)、兵藤公美(青年団)、用松亮、黒木絵美花(青年団) 前原瑞樹(青年団)、野田慈伸(桃尻犬)、近藤強(青年団)、善積元、橘花梨 |
※7月2日(木)の回は、終演後アフタートークあり。ゲストは村田沙耶香氏(小説家)。
水素74%プロフィール
2010年10月に主宰の田川啓介が旗揚げ。劇団員を持たないプロデュースユニットの形式を取る。第1回公演「謎の球体X」がMITAKA NEXT SELECTION 12thに選出される。モンスターペアレンツやモンスタークレイマーのように、自分の持っている尺度こそ全ての人間に共通する尺度だと思い込み、他人にも自分の考えで生きさせようとする自分勝手な登場人物たちとその関係を描く。
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今回の公演に寄せての、田川さんからのメッセージ
太宰治がこの「わたし」という存在について考えたように、わたしもこの「わたし」を考えたいです。人はみなナルチシズムという意味で自分が大嫌いで、自己愛という意味で自分が大好きなのだと思います。醜く汚くて大嫌いなこの「わたし」を力強く抱きしめ、愛してあげたいと思うのもまたこの「わたし」。矛盾溢れるこの「わたし」を描きます。
君、太宰つてのは、おそろしくいやな奴だぞ。
さうだ。まさしく、いや、な奴だ。
──────太宰治「ダス・ゲマイネ」
太宰治の小説には、太宰自身がモデルになっていると思われる人物が登場するものが多々あります。彼らはみな、自分には甘いのに、他人に対してはとことん厳しい視線を向け、冷酷に批評しています。
彼らは自分以外の人間がどんなひどい目に遭おうが、全く関心を持たず、ただ自分が他人にどう思われているかだけを気にしています。自分のことしか考えていないのです。
とてもひどいやつですね。しかし、翻って自分が生きるこの社会のことを考えると、人間としてのお互いの存在を認め合い、みんなが調和を願っている、とは言い難いのではないかと思います。わたし自身のことも含めて。太宰の世界は、太宰はひとりで、その他は彼に厳しい扱いを受ける人で構成されていますが、わたしたちの住む社会の構成員は実は全員太宰なのではないか、と想像します。
みんながお互いにお互いを冷酷に批評し、嘲笑し合う全員太宰の世界。
そんな現代のカリカチュアを描きます。
【太宰治作品をモチーフにした演劇公演『わたし~抱きしめてあげたい~』
田川啓介+玉田真也+橘花梨 インタビュー】
※映像の下に掲載されているインタビューとは、別のインタビューです。
※J:COM武蔵野三鷹「MITAKA ARTS NEWS ON TV vol.147」で放映されたものです。YouTube で見る
Interview 水素74%インタビュー
今演劇界で注目を集める異才・田川啓介。その彼が作・演出を務める劇団水素74%の新作は、太宰治が昭和10年に発表した「道化の華」をモチーフの中心に、太宰作品に内在された強烈な自己愛が、現在の我々に通じていく様を、鋭い人間観察のもと描いていきます。公演を前に作・演出の田川啓介さん、出演の兵藤公美さん、玉田真也さんに、お話を伺いました。
太宰が『人間失格』で記した「世間じゃない、あなたでしょう?」という一文が、現代の世の中で、はっきりと実像を帯び始めてきた。そこに強烈に光を当てて、戯曲を書きたいですね。
三鷹市芸術文化センターでの「太宰治作品をモチーフにした演劇公演」は、毎年違う作家に作・演出を依頼していて今回で12回目を迎えますが、田川さんは、過去のシリーズ作品をご覧いただいているそうですね。
左から田川啓介さん、玉田真也さん、兵藤公美さん田川 この企画は気になる作家の方が手掛けられることが多かったのと、僕自身が太宰作品を好きというのもあって、何本か拝見しています。面白い舞台が多かったのですが、僕自身が脚本を書いていることもあり、どうしても作家の目で観てしまうので「自分だったらこうするなあ」とか「もっと駄目な人間関係として描いたほうがいいんじゃないかなあ」とか思いながら観ることが多かったので、三鷹の財団の担当者から「太宰企画で作品を作ってもらえませんか」と声を掛けてもらった時は嬉しかったですね。
今回の執筆にあたり、太宰作品を読み返されてみていかがでしたか?
田川 世間一般で言うところの「太宰作品のはしか麻疹に罹った」というほどでは無かったのですが、昔読んだ時はかなり没入して読んだ記憶があって、その点、今回はかなり客観視しながら読めたと思います。その上で、読み進めるうちに強く感じたのは、すごく文章が上手いなあということですね。自分も作品を書くようになると、技術的なことにも目が行ってしまうのですが、とにかく上手いなあと。太宰には戯曲作品も幾つかあるのですが、むしろ戯曲よりも普通の小説のほうが、そのまま舞台化出来るのではと思える作品が多かったですね。
特に、強く印象に残った作品はありますか?
田川 昭和10年に発表された「晩年」の中に収められている一編「道化の華」ですね。他者と自分との、自意識に導かれた関係性が見事に描かれていて、この作品をメインモチーフに自らの作品を書き進めてみました。後の代表作「人間失格」(昭和23年)に書かれている有名な一節
(それは世間が、ゆるさない。)
(世間じゃない。あなたが、ゆるさないのでしょう?)
(そんな事をすると、世間からひどいめに逢うぞ。)
(世間じゃない。あなたでしょう?)
(いまに世間から葬られる。)
(世間じゃない。葬るのは、あなたでしょう?)
にも通じる太宰の強い想いが、処女創作集においてすでに萌芽していて「道化の華」は本当に面白かった。後は「カチカチ山」(昭和20年に発表された「お伽草紙」の中の一編)ですかね。
それらの太宰作品を踏まえて、今回、どのような戯曲を構想されていますか?
田川 まずは、太宰の生きた時代ではなく、現代の話を書きたいと思います。と言いますか、読めば読むほど太宰の作品は「現在を内包しているな」と思いまして。太宰が人間失格で記した通り、今の世の中こそ「大きく一つに括ることの出来る世間」は存在せず「一億人いれば、一億個の世間」があると。「世間じゃない、あなたでしょう?」という一文が、現代の世の中で、はっきりと実像を帯び始めてきたなと。言い換えると、太宰が「道化の華」を書いた頃は特異に映った人生が、今の世の中では一般化してきているのではないかと。そこに強烈な光を当てて、戯曲を書いてみたいですね。
タイトルには、どのような思いが込められているのでしょうか?
田川 太宰自身は、俯瞰した視線で小説を書いていたと思いますが、その文章に内在された強烈な自己愛について考えていた時に「自分が大好きなんだけど、自分が理想とする姿にたどり着けていない自分のことが嫌い」という人が多いなと思ったんですね。でもその思いは、一見矛盾してそうで、実は矛盾していなくて、結局「自分」すなわち「わたし」が“好き”だからこその“嫌い”なんだなと。そういう人たちを描いていこうと思った時に「わたし」というタイトルが浮かんだのですが、ちょっとこれだけだと固く感じるなと思い、敢えて少し“ダサめ”な「〜抱きしめてあげたい〜」というサブタイトルを付けることで、人間喜劇として観てもらえるのではと思い、この題名にしました。
玉田さんは、太宰作品を読まれての感想はいかがですか?
玉田 幾つかの作品を読んでいますが、先に田川さんが言った通り、人間関係を俯瞰して客観的に見ているなと感じましたね。まあもうちょっと言うと「自分を高いところに置いて見ているな」と。ある意味、かなり卑怯だなと(笑)。
兵藤さんはいかがですか?
兵藤 太宰作品においては、一人称の女性独白体の小説に惹かれますね。「きりぎりす」(昭和15年)とかも良かったですが、特に気に入ったのは「皮膚と心」(昭和14年)かな。読んでいくうちに、朗読の会を開催してみたいなと思うほど、面白い作品でしたね。なんかね、「皮膚と心」の若奥さんって、田川さんの作品に出てきそうな女性なんですよ(笑)。皮膚に出来物が出来たことを気に病んで、もう気持ちがどんどん負のスパイラルに陥って、旦那が優しく接してくれているのに、一人で勝手に「信じられない」と劣等感に苛まれて思い詰めていって。
玉田 田川作品にも「相手のことを理解している振りをして、実は全く相手の考えなど聞こうとしていない人」多いですもんね(笑)。傍から見ると無茶苦茶異常なのに、本人は普通だと思っていて「えっ、判るよね?判らないわけないでしょ」と、常に相手に“圧を出して”いくタイプ(笑)。実際、そういう役を僕が担うこともあるんですけど(笑)。まあ、普段は言えないようなセリフが言えるので、俳優としては楽しいですけどね。
田川 玉田さんは「昭和の結核の人」の匂いがするんですよね(笑)。ちょっと病的で、そのくせ自分勝手な佇まいでいるのが好きでオファーしています。兵藤さんは、演技の再現性が高くて“ぶれ”が少ないことと、声のトーンや間の取り方で、セリフを笑いに変えていくのが上手いので、やはり水素74%には何度も出演していただいています。
兵藤 私はね、田川さんの作品は演じにくいとは思わないけど「ほんとにこんな人いるのかな」と思いながら演じている時はありますね(笑)。所属している青年団(主宰・平田オリザ)の芝居では思ったことないんだけどね(笑)。でもお客さんからは「いるいる、ああいう人」って、いつも言われるから「やっぱりいるのかあ」って(笑)。
玉田 演じていて、自分の中にある小さな「負」の感情が、ドーンと広がる感じがするんですよね。人間関係を円滑に生きていくためには言わない方がいい言葉を、人を傷つけているなんて微塵も思わずに、無自覚に言い放っていく人の恐ろしさをあぶ炙りだしていく。
兵藤 田川さんの舞台に出ると、毎回お客さんの感想が「共感できる」と「できない」に真っ二つに割れるんですよ。で、私の統計では、自分の図星を突かれても「そっかあ」と受け流せる人は共感して笑ってくれるけど、胸が痛すぎて観ていて辛いって人は「共感できない」になってしまう。でも、おそらく、そういう人ほど登場人物に近いんです!ってあくまでも私の統計なんですけどね (笑)。でも、共感できる・できないに関わらず「お客様の胸に届いてるなあ」とは思いますね。それはやはり、田川さんの書くセリフの面白さによるものだと思います。
では最後に、今回の作品に寄せてのメッセージをお願いします。
玉田 水素74%には今回で3回目の出演なのですが、今までを超えた面白い舞台になればと思います。
兵藤 今までは、届く人にだけ届くという感じだったけど、今回は、田川さんの持ち味はそのままに、その先の表現に踏み込めたらと思っています。それこそ、先に出てきた「すべての世間」に届くような舞台になればと。早めに脚本が完成して、みっちり稽古して、そこを目指したいですね。
田川 自分の中の客観性に忠実になって、初心に戻って、針が振りきれるほどの濃密な会話劇を書いて、ここまでの自分の、ひとつの集大成のような作品になればと思います。
本日はありがとうございました。