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太宰治作品をモチーフにした演劇 第11回『おい、キミ失格!』

映画『桐島、部活やめるってよ』で、第36回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した、
鬼才・喜安浩平率いるブルドッキングヘッドロックが描く、DAZAIワールド!

「旅のしおり2013」舞台写真 撮影:石澤知絵子

「旅のしおり2013」舞台写真 撮影:石澤知絵子
「旅のしおり2013」舞台写真
撮影:石澤知絵子

本公演は終了しました

2014年 6月6日(金)〜15日(日) 全12公演

【全席自由】 日時指定・整理番号付
【会員】前売3,000円・当日3,300円 【一般】前売3,500円・当日3,800円
【高校生以下】 前売・当日とも1,000円
*早期観劇割引・平日マチネ割引の公演は上記料金から300円引き
 (高校生以下を除く)
託児サービス 500円、対象:1歳~未就学児、定員10名、要予約(2週間前まで)
*未就学児は入場できません。 *6/7(土)のみ
【作・演出】 喜安浩平
【出 演】 西山宏幸、篠原トオル、永井幸子、岡山 誠、喜安浩平、
川本成(時速246億)、竹井亮介(親族代表)、 森谷ふみ(ニッポンの河川)、
筒井俊作(演劇集団キャラメルボックス)、傳田うに(劇団鹿殺し)、
小園茉奈(ナイロン100℃)、竹内健史、
小笠原健吉、浦嶋建太、葛堂里奈、鳴海由莉、二見香帆

スケジュール

作・演出の喜安浩平さんが語る「おい、キミ失格!」

太宰治がモチーフで『おい、キミ失格!』というタイトルなら、「人間失格」をイメージされる方も多いと思いますが、それよりも「HUMAN LOST」が今作のイメージ。
"気ちがい病院"で綴られた日記のようなもので、私が4年前に太宰治の全作品を読み倒した時、一番挫折しそうになった作品です。
彼の錯乱には目眩がしました。今回、太宰をモチーフにするかどうかはさて置き、この、錯乱を楽しみたいと思います。結果コントが出来上がるかもしれません。ヒューマンコント。笑えるかどうかはさて置き。

喜安浩平さん
喜安浩平さんからのメッセージ

2010年、星のホールに於いて、『Do! 太宰』なる作品を上演した。文字通り太宰をやったわけだが、いわゆる「太宰治作品をモチーフにした演劇」という企画に参加したわけではなかった。勝手にやった。非公式に。その年にほんとに太宰をモチーフにした演劇をされた作家さんにはご迷惑をかけた。もし今年、誰かが星のホールで我々より先に太宰をやるなんて言いだしたら私は全力で嫌がらせするだろう。それくらいのことをあの時したんだなあと今は反省しています。ちゃんとした人になれるよう頑張ります。

劇団ブルドッキングヘッドロック プロフィール

2000年結成。作・演出の喜安浩平(映画『桐島、部活やめるってよ』で、第36回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞)と、主宰の西山宏幸を中心として、「グロテスクな日常に、ささやかなおかしみを」をテーマに、舞台作品を作り続けている。
劇団Web Site:http://www.bull-japan.com/
劇団Twitter:@BHL_BHL_BHL
劇団facebook:https://www.facebook.com/bulljapan

【ブルドッキングヘッドロック インタビュー/動画の下に掲載されているインタビューとは別の収録です

※JCN武蔵野三鷹「MITAKA ARTS NEWS ON TV vol.122」で放映されたものです。YouTube で見る

Interview 喜安浩平(劇団ブルドッキングヘッドロック)インタビュー

映画『桐島、部活やめるってよ』で、第36回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞するなど、今演劇界で注目を集める鬼才・喜安浩平。その彼が作・演出を務める劇団ブルドッキングヘッドロックの新作は、太宰治が昭和12年に発表した「HUMAN LOST」を中心に、立場によって否応なく、審判する側とされる側に立たされてしまった人たちの姿を、鋭き人間観察のもと描いていきます。公演を前に喜安浩平さんに、お話を伺いました。

【インタビューアー】森元隆樹(三鷹市芸術文化振興財団)

ほんの少し角度を変えたり、立場を変えたりすると、いったい誰が正しいことを言っているのか判らなくなる時ってありますよね。その瞬間をスケッチしたいと思います。

2010年5月に三鷹での公演をお願いした時に、劇団のほうから、ぜひ太宰治作品をモチーフに作ってみたいとのことで「DO!太宰」という舞台を上演していただきました。その時に、太宰治の作品を、すべて読まれたそうですね。

喜安浩平さん喜安 それまで太宰をほとんど読んでいませんでしたし、作品数も多いので大変だろうと思っていたのですが、手にしてみると案外読みやすく、一気に読破できました。今考えると、最初に手に取ったのが新潮文庫の「走れメロス」が収録されている文庫本だったことが、良い選択だったのかもしれません。比較的、太宰が安定している時期に書かれた作品群でしたから。

特に印象に残った作品はありましたか?

喜安 いろいろありますけど、今思い浮かぶのは「春の盗賊」(昭和15年発表)ですかね。売れない作家が、家に忍び込んできた泥棒相手に、居丈高になったり、おどおどしたりしながら、最後にはひたすらまくしたてるんだけど……という非常におかしみに溢れた話で、「ああこんな風に、面白おかしく物事を伝える作家さんだったんだ」と、それまで抱いていた太宰治へのイメージが一変したのを覚えています。

上演された「DO!太宰」は、たくさんの太宰作品が散りばめられた舞台でした。

「Do!太宰」舞台写真
「Do!太宰」舞台写真
喜安 正確には覚えていませんが、二十を超える作品のエッセンスを取り入れたはずです。当時は稽古場で、役者さんに一人一作品ずつ任意で選んでもらい、どんなやり方でもいいから3分以内の作品にまとめて発表してもらったりもしました。そうやって太宰作品を一度分解し、再構築していくことで、新しいアプローチが見つからないかと模索したんですね。なので、もしかすると太宰と僕の思考の断片が連なっていくような、実験的な作品になるのではと予感していたのですが、そこにさらに太宰治本人のエピソードも絡め始めたら、エッセンスとして選んだ作品それぞれに内在していた太宰の人生のうねりのようなものが表出してきて、それぞれのシーンが強い繋がりを持った、物語性の強い舞台になりました。

そのうえで、今回の太宰治作品をモチーフとした演劇公演は「HUMAN LOST」を中心に構成されるとお聞きしました。これはすぐに閃かれたのですか?

喜安 今回、前回も試そうとした“思考の断片を散りばめていくような作品作り”という入口から、もう一度入ってみようと思ったんです。その時に、「HUMAN LOST」という作品が思い浮かんだんですね。この作品は精神病院に入院している主人公が綴った日記の体裁をしていて、意味が判る文面の日もあれば、まったく訳が分からない記述の日もある。あるいは何も書かれていない日もあれば、ものすごく長く綴ってある日もあって、筆者の気持ちが上がったり下がったりしながら、少しずつ快方に向かっていく様を描いた、奇妙な書き物なんです。でもじゃあ作品全体がてんでばらばらかというと、一応物語の体を成しているようでもある。そのあたりが、今回自分が作り上げたいと思っている舞台に近いのではないかと思ったんです。筆者の、一見内側に向いているように見えて、その実、外側に向かって声を張り上げているような複雑さが、今、私が考えている作品のタッチに近いというか。だから「HUMAN LOST」そのものをモチーフにするというよりは、その方法を脚本の仕組みに取り込んで、後は、全体をエンタテインメントに寄せていくか、アートに寄せていくかを、自分自身楽しもうと構想しているところです。

4年前に「HUMAN LOST」を読まれた時は、なかなか大変だったそうですね。

喜安 この作品を書いた頃の太宰が、精神的にかなり苦しい時期だったからかもしれませんが、ちゃんと読もうとするとなかなか先に進めないし、だからといって流して読むと何も入ってこない。本当に最後までたどり着けない気がして、これを読んでいた頃には、「やはり太宰の山は高かったか…」と思ってましたね(笑)。近頃改めて読むと、少し時間を置いたお陰か、俯瞰した感じで比較的楽に読めたのですが、4年前は「とにかく全部読まなければ」という勝手な義務感もあったせいか、そもそも気持ちに余裕が無かったのか、読み進めるのがとてもしんどかったですね。なぜわざわざそんな作品を選んだんでしょう(笑)。

さて、喜安さんといえば、昨年、日本の映画賞を総嘗めにした「桐島、部活やめるってよ」の脚本を担当されるなど、映画の世界でも注目を集めていらっしゃいますが、舞台と映画では、脚本執筆において違いを感じられますか?

喜安 もちろん、この先考えが変わっていくこともあるかもしれませんが、現時点では「違う」と思っています。僕が演劇の脚本を書く場合は“瞬間瞬間の会話のおかしみを積み重ねていったら、いつのまにかこんな山が出来ていました”という風に進めていくのですが、映画においては“先に山の形状を示して、そこに台詞を盛り込んでいく”作業になります。まあ演劇の現場においては、僕が脚本と演出を兼ねていることが多いので、自分の持つイメージさえしっかりしていれば、本が未完でも「後は現場で、稽古しながら」書くこともあり得るんですが、映画はそうはいきませんからね。

今、喜安さんの元には数多くのオファーがあって、演劇の脚本と、映画のシナリオの同時進行という時もあると思いますが、頭の切り替えは大変ですか?

喜安浩平さん喜安 今までも「自分の劇団の脚本を書きながら、他の劇団の舞台に立って役者をやる」とか「舞台の合間を縫って、声優の仕事をやる」など、いろいろな同時進行がありましたし、おそらく僕はそのほうが、精神衛生を保てるようです。一個の作業、一個の作品に集中しようとすると、自分で言うのもなんですが、根が真面目なので(笑)考えすぎてしまう。こっちで溜まったフラストレーションを、まったく別の仕事で発散していくことで、前に進む推進力になっているのだと、僕自身は思っています……が、周りはそう思ってないかも(笑)。もうちょっと落ち着いて、腰を据えて仕事しろよと思っているかもしれません(笑)。

様々な分野で活動することが、他の仕事にも活きていると感じますか?

喜安 そうですね。先に言った理由だけではなく、まだまだ自分自身反省することのほうが多いですから。常に、他の分野で経験したり勉強したことを、次の現場で活かせていければとも思っています。そういった面からも、活動の幅は大事ですね。

映画監督をしてみたいと思ったことはありますか?

喜安 それよく聞かれるんですけど、自分が映画監督をしているイメージが、まったく沸かないんですよね。だから表現の手段として、例えば漫画とか音楽などと同列で、“映画という表現にも興味はありますが…”という感じです。まあ、すごくすごく優しい助監督がいて、すごくすごく優しく映画について教えてくれて、最後まで一回も心が折れないようなら作ってみたいとも思いますけど(笑)。長年映画に携わっていらっしゃる人たちに「映画の世界を知らな過ぎる。困ったなあ。」と心の中で思われながら仕事をしてもらうのは申し訳ないし、それは素直に嫌でしょう(笑)。

喜安さんが演劇を始められたきっかけは、何だったのでしょうか?

喜安 もともと美術をやりたくて、大学も美大に行きたかったのですが、周りの大人たちから「お前じゃ無理だ」と止められて(笑)。それで、高校は愛媛県だったのですが、比較的近場だった広島大学の、教員養成課程美術科に志望を変え、そこで演劇に出会いました。美術の先生になろうとしてたんですね。

そのお話を続けていただく前にお聞きしたいのですが、「お前じゃ無理だ」という周りの大人の説得は、納得できたのですか?(笑)

喜安浩平さん喜安 はい(笑)。というのも、同じ学年にやはり美大を目指していた男子がいて。彼のデッサンは本当に素晴らしくて、放課後にはわざわざ美大専門の予備校に通ったりしていたほどなんです。それに比べて僕は、高3になって急に美術部に入って勉強を始めた程度で、周りから見ると「なんなんだ、お前は」という感じだったはずで(笑)。まあ、折に触れて「美術の道に進みたい」と思っていた子どもではあったんですけど。それも、小学校の時に絵画コンクールで賞をもらったりしていたから、美術にいいイメージしかなかったことが問題だったんでしょうけど(笑)。だから、何の基礎も無く、ただ好きなように絵を描いていただけだったので、周りの忠告はもっともだったんです(笑)。その上、先の美大を目指していた同級生が、あんなに実力があって、あんなに努力もしていたのに、受験に失敗したんですよ。「ああ、大人たちの忠告に従って良かったんだ」と、思いますよねさすがに。

なるほど(笑)。大学に入られたら、すぐに演劇を始められたのですか?

喜安 そうでもないです。入学後しばらくは、どこのサークルにも入らずぷらぷらしていたんです。で、ある時、同じ美術ゼミの先輩が演劇サークルに所属されていて、「スタッフを手伝ってみない?」と僕を誘って。「舞台美術とか、興味が湧くと思うよ」なんて言ってたはずなのに、稽古場に行くといきなり筋トレや発声練習をやらされて「できるねえ、すごいねえ」と褒められて(笑)。さらに台本も読まされて「うまいねえ」なんて(笑)、で、調子に乗って入部してしまいました(笑)。

その頃から作・演出も手掛けられてたのですか?

喜安 いえ、役者だけでした。最初に脚本を書いたのは、大学4年生の時です。その後、卒業したんですけど教員にもならず、なんとなく演劇を続けていた時に、就職して東京に行った友人から「オーディションでも受けてみたらどうだ?」と勧められ、偶然その時に出演者オーディションをしていた『ナイロン100℃』を受けて合格し、出演することになりました。

喜安さんが現在も所属されている、ケラリーノ・サンドロヴィッチ主宰の劇団『ナイロン100℃』ですね。それ以前にもご覧になっていたのですか?

喜安 いえまったく。そのオーディションの応募資格が「ナイロン100℃の公演を観たことがある人」だったので、当時上演していた公演を駆け込みで観に行ったのが最初です。

ご覧になった感想はいかがでしたか?

喜安 面白かったです。と同時に、くだらなさへのアプローチが、当時自分が広島で作っていた作品に似ている気がしたもんで「これなら俺にもできるなあ」と(笑)。錯覚がひどすぎますよね(笑)。まあやがて、その鼻はものの見事にへし折られるわけですが(笑)。

その後、すぐにナイロン100℃の劇団員になられたのですか?

喜安 そのオーディションは“出演者募集”だったので、1回切りの出演でおしまいのはずでした。ただ、その後もナイロン100℃の公演がある時は手伝いに広島から上京していて、そのうち演出助手の補佐を頼まれるようになり、次には再び出演もさせてもらい、そういう積み重ねの果てに劇団員になりました。そのナイロン100℃での役者活動と並行して、広島時代の演劇仲間を中心に旗揚げしたのが、僕が脚本演出をやっているブルドッキングヘッドロックです。

これから手掛けてみたい仕事はありますか?

喜安浩平さん喜安 ブルドッキングヘッドロックを旗揚げして15年になりますが、15年前は外部からお仕事がいただけることも無かったですし、漠然とした不安を抱えながら、「とにかく何かを表現していないとまずい」という一種の焦燥のもと、必死でやることを探していた感じだったんです。それから15年経って、今ではいろいろな方面から声を掛けていただけるようにもなり、それに挑むにあたって、昔だったら「やることを無理矢理探し出す」感じだったのが、今は「やりたいことが自然と浮かんでくる」状態でもあって、本当に有難いことだし、いい具合だと思っています。だから結果そうなっているならそれはそれで別にいいのですが、自ら “立派な作家になる”とか“売れっ子になる”とか望むことはなく、これからも常に自由な心持ちで表現をしていきたい、とだけ思っています。それが今の偽らざる心境ですね。

確かに、それは表現者として大事なことですね。

喜安 だから、どの現場に行っても自由であればと思うし、もっと言うと、どの現場に行っても“なんとなく不慣れな人”でいたいとも思うんです。映画の現場に行って「でも演劇ならこうするんですよ」とか言いたくないし、いつまでも「そうなんですか、知らなかったです。勉強になります」と心から言える人でいたいです。映画の現場に行ったら、常に映画の初心者でいたいし、演劇の世界に帰ってきても、まだまだ知らなかったことがあったと、常にワクワクしていたい。まだまだ未知のものと出会う可能性はたくさんあると思うので、いつまでもその“ビギナー感”を持ち続けていたいと、心から思っています。

「おい、キミ失格!」チラシより
「おい、キミ失格!」チラシより(クリック拡大)

なるほど。そんな喜安さんにとっての新しい可能性を秘めた作品「おい、キミ失格!」どんな作品になりそうですか?

喜安 今回、レッドカードを持った審判がたくさん写っているチラシを作ったのですが、意識しているのは、「失格の烙印を押された男」ではなくて、どういう奴が失格かと判断する側、つまり「失格の烙印を押す側」の人たちを描きたいなと思っています。モラルとか規則を守って生きている、言わば厳格なはずの人たちも、その言動を知れば知るほど、人間らしい“隙”があると思うんです。ほんの少し角度を変えたり、立場を変えたりすると、いったい誰が正しいことを言っているのか判らなくなる時ってありますよね。そして、誰かに審判を下すことで自分自身を支えているようなタイプの人もいれば、審判を下さなければいけないという責任に苦しむタイプの人もいるかもしれない。だから実際に「審判」も登場して、彼らが繰り広げる“ヒューマンコント”をお楽しみいただこうと思います。コントというと「笑い」なのかと思われるでしょうが、言い換えるなら、ヒューマンスケッチとでも申しましょうか、滑稽な人間模様の果てに、おかしみや、悲しみ、それから、なんとも言えない奇妙な感情を喚起するような作品になるはずです。ぜひ、観に来てください。

本日はありがとうございました。
(3月25日 稽古場にてインタビュー)

三鷹市芸術文化センター
星のホール

〒181-0012
東京都三鷹市上連雀6-12-14
0422-47-5122 (チケットカウンター)
0422-47-9100 (施設受付・事務局)
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