貫き続ける、落語への愛。花緑の落語が、春を呼ぶ。
[昼の部完売]
本公演は終了しました
2014年3月21日(金・祝) 昼の部14:00 / 夜の部18:00開演
【全席指定】 | 各回 会員2,700円 一般3,000円 高校生以下1,000円 |
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500円、対象:1歳~未就学児、定員10名、要予約(2週間前まで) *未就学児は入場できません。 |
【出 演】 | 柳家花緑 ほか |
【演 目】 | 昼の部と夜の部が、同じ演目になるか違う演目になるかは未定です。 |
ただひたすらに、落語への愛を貫き続ける、まっすぐな高座が、柳家花緑さんの魅力です。
春の足音を聞く頃、花緑さんの落語で、心を和ませてください。
【柳家花緑さんインタビュー/動画の下に掲載されているインタビューとは別の収録です】
※JCN武蔵野三鷹「MITAKA ARTS NEWS ON TV vol.115」で放映されたものです。YouTube で見る
Interview 柳家花緑インタビュー
レギュラーで出演中の「寄席井心亭」や「星のホールでの独演会」で、三鷹ではおなじみの柳家花緑さん。
いつも、落語への愛に満ちた真っすぐな高座で、お客様を笑顔にしてくださっています。
本日は、3月21日に星のホールでの独演会を控えた花緑さんに、お話を伺いました。
僕にとっては「生きる」ということが「落語をやる」ということなんです。
まずは、花緑さんの小さい頃のことをお聞きします。後に師匠となられる先代の、故・五代目柳家小さん師匠がお祖父さん、そして伯父さんが今の六代目柳家小さん師匠という家にお生まれになったこともあり、落語は常に身近にあったという感じでしょうか。
柳家花緑さん花緑 目白にあった家で祖父とずっと暮らしていましたからね。たくさんのお弟子さんが出入りしていましたし、浅草演芸ホールとか、今はもう無い東芝銀座セブンというホールなどに、小学校低学年の頃から祖父に連れられてよく行っていましたので、落語は自然と側にありましたね。
その頃から、落語をされたりしていたのでしょうか?
花緑 いやそうでもなくて。実は今でも覚えているのですが、小学校低学年の時に、2つ上の兄(バレエダンサー・振付家の小林十市さん)と急に二人並べられて、いきなり落語の稽古をさせられたことがあったんです。稽古を付けてくださったのは(当時前座だった)入船亭扇遊師匠。おそらく祖父に言われてのことだったと思うのですが、とにかく二人とも全くやる気がなくて(笑)。扇遊師匠とその頃の話をすると「やりづらかったよ〜、あの時(笑)。二人とも全然“気が無い”からさあ。ほんと退屈そうだったし(笑)。でも隣の部屋で小さん師匠が聞いているのは判っていたしさあ(笑)。ほんと、どうしようかと思ったよ」って(笑)。
その稽古は何回か続いたのですか?
赤ちゃんの頃幼稚園の頃、祖父との2ショット花緑 私と兄のあまりの退屈さ加減に、祖父もあきらめたみたいで、その1回きりでしたね(笑)。
その後、9歳で初高座となるわけですが、その時は自分から率先してですか?
花緑 いや、母親から言われてですね。とにかくやりなさいと。その時はもう兄はバレエの道に進むという感じでしたので、落語をやれという指令を受けたのは僕だけでしたね。
では、やはり稽古はいやいや?
花緑 その時は、もう退屈は卒業して、ちゃんとやっていましたね(笑)。稽古を付けてくれたのは、伯父の六代目柳家小さんで「からぬけ」と「桃太郎」を覚えました。
初高座の時のことは覚えていらっしゃいますか?
9歳での初高座姿花緑 もちろん覚えています。今も落語会をやらせていただいている、京橋にある「藪伊豆」というお蕎麦屋さんでの会で「からぬけ」をやりました。他の出演者は、祖父と伯父と柳家小三治師匠、そして紙切りの(先代の)林家正楽師匠などもいらっしゃったと思います。実はその時のカセットテープが残っていましてね。普通、初高座の時なんて「録音しよう」なんて余裕ないから、誰もそんな音源持ってないと思うんですよ。おそらく機械に強い小三治師匠あたりが録ってくださったのではないかと思うのですが、ありがたいことです。
今でもお聞きになりますか?
花緑 たまに聞きますね(笑)。面白いから(笑)。実はそのテープにはね、私の落語が終わった後、お客さんが「うまいじゃないか」と囁きあっている声が入ってるんですよ。だから落ち込んだ時は、それを聞くようにしています(笑)。
それはそれは(笑)。緊張はされたのでしょうか?
花緑 その時は、緊張したのかもどうかも全く覚えてないのですが、実は次の高座の時は激しく緊張したみたいです。
みたいです……ということは?
花緑 そう、僕自身は覚えてなくて、母親から聞いた話ではということなんですが。まずは、袖から出て行って、普通は座布団の後ろから座りに行くのに、真横からぴょんと座ったと。そして、途中で頭が真っ白になったらしく一瞬話を忘れてしまった時に、いきなり扇子を手にして、それを顔に近付けてニコッと笑ってごまかして(笑)、そしたら思い出したらしく、また噺の続きを始めたと(笑)。
それはそれですごいですね。なかなか咄嗟に笑ってごまかせないと思いますが。
花緑 自分では、なんでそんなことをしたのか覚えていませんからね。まさか、忘れた時は笑ってごまかせなんて教わった訳じゃないし、だから高座から降りてくるや否や母親に「なんであんなことしたの!」って言われても、きょとんとしていたみたいです(笑)。
その時も会場は「藪伊豆」ですか?
花緑 いえ、今度は新宿かどこかの大きなホールでしてね、拍手も凄かったんだと思いますし、取材の人も多くてね。だから舞い上がっちゃったのかなあとは思いますね。
9歳といえば小学4年生くらいですね。昔、柳亭市馬師匠が「花緑が毎日のように忘れ物するから、それを学校に届けに行くのが僕の役目だったんだけど、教室に入ると子供たちに『弟子だ!弟子だ!』って言われてね。困ったもんでしたよ」と高座で仰っていたのを聞いたことがあります。
花緑 本当の話ですね(笑)。その頃、いつも私は先生の目の前の席に座らされていましてですね。なにせ勉強しやしないし、授業中もずっと喋っているから、そこが指定席(笑)。だから、前から入ってくるしかなかったんでしょうね。で「弟子〜!」って一斉に囃し立てられてね。あの頃、市馬師匠には、ほんとにご迷惑をおかけしました。
その頃、落語以外に熱中されていたものはありましたか?例えば、中学生の頃、部活動をされていたとか。
花緑 部活動は一切やらなかったです。というのも、小学6年の3学期に、母親から「落語家になるのかならないのか」を人生で初めて聞かれたんですよ。さっきも言ったように勉強は全くできなかったけど、落語を覚えて喋るとクラスのみんなが笑ってくれるという体験を何度もしていたので、即答で「落語家になります」と言ったんですね。そしたら、母親が「ならば、落語家に向けての習い事にだけ集中しなさい。中学に行っても部活動には入らないように」と。だからそれからは、和物には和物ということで、三味線、習字、日舞などを習っていましたね。
なるほど。日舞もされていたんですね。
花緑 日舞は、小学2年の時から三代目桂三木助師匠のおかみさんに習っていたんです。で、中学に入ってからは、柳家さん喬師匠に習い始めたのですが……。教わり始めて1年くらいたったある日、さん喬師匠が私の肩をぐっと掴んで、「お前……嫌(や)だろ」と(笑)。「やめるか」と(笑)。嫌々ながらやっていたのを見抜かれてしまったみたいで、それでやめました。さん喬師匠には、ほんとに申し訳なかったと思っています。
もちろん落語の稽古もされていたんですよね?
花緑 そうですね。祖父も稽古を付けてくれましたし、柳家小三治師匠や柳家小はん師匠なども付けてくださいました。あと、ピアノや剣道やジャズダンスなんてのもやってましたね。祖父が剣道をやっていたのは有名ですけど、僕自身は剣道も柳家さん喬師匠に教えていただくことが多かったです。実は初段くらいまでいって、豊島区の大会で2位と3位を2年続けて取ったんですよ。
すごいですね。
花緑 でもどうしても優勝はできなかったんですけどね。その後、前座修業が忙しくなった頃にやめました。続けていれば、いい剣士になったかもしれなかったのにね(笑)。
そして、中学卒業と同時に落語家への道を歩まれます。
入門した頃花緑 実はこの時もね、最終的に母親に選択を迫られているんです。中学3年の1月くらいかな。「お前、もう一度聞くけど、高校いかなくていいの?」と。遅いって話ですよ(笑)。他の子たちは、もうとっくに進路を決めて受験のために最後の追い込みをしている時期なのに、この全く勉強していない息子を掴まえて、よく今頃そんなことが言えるなと(笑)。当然「落語家になるよ」と言うと「わかった」と。でもね、今にして思えば、自分から落語家になったんだということを、はっきりと意識させたかったのかなと。真意は判らないのですが、だとしたら、ありがたかったなあと思っています。
入門されるにあたり、祖父の柳家小さん師匠との間に正式な挨拶などはあったのでしょうか?「今日からは師匠と弟子だぞ」というような儀式といいますか。
花緑 若乃花・貴乃花じゃないんですから(笑)。クリアケース持って、階段を昇ったり降りたりしませんって(笑)。
すいません(笑)。そのイメージがよぎったのは確かです(笑)。
花緑 4月1日から新宿末広亭に入りましたから、寄席に通い始めるというのが一番の変化で、それ以外は何も無かったと思います。まあ、もしかしたら、挨拶めいたことが少しはあったのかもしれませんが、僕の記憶には無いですね。
前座時代の思い出はありますか?
入門した頃、寄席の楽屋にて花緑 なにせ中学出たばかりですしね、もうほんとに、いろんな人にご迷惑をかけすぎて思い出せないです(笑)。同期としては、現在の入船亭扇治、三遊亭白鳥、三遊亭萬窓、橘家文左衛門などがいるのですが、同期とはいえ一人だけ年齢が低いですからね。他の連中は困っていたと思いますよ。橘家文左衛門さんが言うには「ある時さ、小さん師匠が仲入り(途中休憩)前の出番でね、高座が終わって降りてきて「おう、帰るぞ」って兄さんに声を掛けたかと思ったら、一緒に帰っちゃうんだもん」って(笑)。前座ってね、寄席に入ったら最後まで師匠方の世話をするのが当然なのに「あれ?帰っちゃった」って(笑)。まあ、誘う師匠も師匠なんですが(笑)。
なかでも、一番しくじったなあという失敗談はありますか?
花緑 だからね、さっきの文左衛門さんが語ってくれた話を覚えていないように「今、その頃の失敗談を覚えていない」というのが一番怖いですね。覚えてないということは、いろいろなことに気付いてなかったということだと思いますし、当時、どれだけ周りがカバーしてくれたり、我慢してくれたりしたのかと。覚えているなら「あの頃、すいませんでした」と謝れるんだけど、それもできないという。それくらい、相当ぼやぼやしていたんだろうなあと思います。
入門してからの初高座はいつだったのですか?
花緑 入門する前にすでに十一席ほど覚えていたこともあって、普通は最初の10日間の寄席では高座に上がる事もないと思いますが、6日目くらいに「出来心」かなんかを喋ったんじゃないかなぁと思います。
それは早いですね。普通、見習い期間がしばらくあって、それからですものね。
花緑 前座の仕事のひとつである「太鼓叩き」も、今の柳家禽太夫兄さんに習ったのですが、なにせ自宅に太鼓一式があるもんだから他の人に比べてどんどん上達してね(笑)。いろいろ恵まれていました。でもやがてね、そんな風にぼやぼやしていた自分が、少しずつ気付いてくる訳ですよ。人に迷惑をかけてはいけないとか、おぼっちゃんとして振る舞ってはいけないとか。落語のほうもね、最初は「子供がそこそこ達者にやっている」というマジックもあって結構ウケてたんですけど、だんだんとそれも無くなってきてね、やがて何とか笑わせようとして無理矢理ギャグを入れると、ますますウケなくなったりしてね。このままじゃいけない、変わっていかなきゃいけないと思い始めた頃に、柳家禽太夫兄さんとか、橘家圓太郎兄さんに、よく相談に乗ってもらい、悩みを聞いてもらいました。でも今考えると、一生懸命もがいているんだけど、子供が精一杯背伸びしている感じでね。現実の世界に何も追いつかない感じでしたね。自分自身が「これでいくぞ」という土台が脆くてね。被害者意識が強くて、上手くいかないと“人のせい”にしたり、“せい”にできる対象を見つけようとしたり。特に二ツ目になった18歳の頃が一番ひどかったかな。気持ち的に躁鬱を繰り返している感じで、丁度一人暮らしを始めたこともあり、結構一人で悶々としていましたね。
その、精神的に大変だった時期を、どのように乗り切られたのでしょうか。
真打昇進の頃花緑 22歳で真打になった頃は「とにかく、今はいろんな知識を溜めこもう」と、まだまだ懸命にもがき続けていて、ようやく「よし、これからはこの知識をもとに、自分がやりたいと思ったことを実践していくんだ」と思い始めたのは、30歳の時ですかね。その頃から、少しずつ道が開けたような気がします。
その時期を経て、今、高座で大事にしていらっしゃることはありますか?
花緑 まずはね、入門当初からずっと守っていることは「明瞭に喋る」ということですね。実はこれ、小さい頃から母親に強く言われ続けたことなので、それを守っている感じです。あとはもうね、とにかく稽古が大事だということです。やはり二十代の頃は、土台も無いのに「いきなり自分が大活躍!」という夢ばかり見ていて、その甘さが自分を苦しめていたんですね。大して素振りもしていなくてバッティングフォームも固まっていないのに「逆転満塁ホームランを打ってヒーローインタビューを受けて、一夜明けたら大スターの自分」を夢見てばかりいるような感じで。
真打昇進の頃、師匠である先代柳家小さんとだから昔は、実力も無いのに「なぜ自分にチャンスが来ないんだ」ってイライラしていたんですけど、今は「チャンスが来た時に、ちゃんと打てるように、日々の稽古をしっかりやろう」と。とにかく稽古が一番大事だと、強く思っていますね。
今、花緑さんは42歳ですが、これから40代、50代、60代と、どんな落語家になりたいと思っていらっしゃいますか?
花緑 僕にとっては「生きる」ということが「落語をやる」ということなんです。自分から落語を取ったら死んじゃうって感じで、それはもう「魚が泳ぎ続ける」ってくらい、自分の中では宿命と思っていることで。ただ、その上で「未来を決めずに生きる」ってことを決めているんです。考えれば考えるほど、今までの人生、自分の想像を超えたことがたくさん起きているなあと。極端なことを言うと、五代目柳家小さんの家に生まれたことが、もう想像を超えている(笑)。だから、これから自分に訪れることをすべて受け入れて、この大好きな落語人生を歩んで行きたいと。その延長線上として、オファーがあれば、役者でもナレーターでも何でもやってみようと。師匠にも「若い頃は、なんでもやれ」って言われていましたし、落語家である以上、知名度が上がるというのは良いことだという空気が、師匠から感じられましたから。だから御縁があれば拒まずという感じで、一時期はNHKのアナウンサーかというくらいNHKに出ていました(笑)。
役者やナレーターなどの経験が、落語に生きてくるという感じでしょうか。
花緑 直接は無いかもしれないですが、自分のフランチャイズである寄席では無いということ、すなわち『アウェーな環境』での経験が、自分の芸人としての芯を鍛えたということは感じますね。特にフジテレビの「とくダネ」という番組で2年半やらせてもらった『温故知人』というコーナーへの出演は、ものすごく刺激になりました。毎週毎週、一人の人生に焦点を当てて、それを3分の落語にしていく。火曜日の番組終了後に来週の資料を渡されて、金曜日にミーティングして、台本を書き換えてもらったりして、月曜日に稽古して、火曜日は朝4時半に起きて1時間稽古してからテレビ局に入り……という感じで、3分間とはいえ、毎週新作落語を作る緊張感を味わって、脳トレには最高でしたね(笑)。というか、物を考える、その発想の組立方を掴めたという点で、ほんとに出演は有意義でした。だから、これから先も、どんな御縁によって、どんな思いもよらぬことが起こるんだろうとワクワクしながら、とにかくその時その時を一生懸命に生きていきたいと思います。
これから手掛けてみたい噺はありますか?
花緑 もちろん、どんどん新しい噺にも挑戦していきたいと思っていますが、今、少しだけ意識してやっているのは、若い頃に高座に掛けて自分の手の内に入らなかった噺を、練り直して自分の物にしていきたいということです。落語がウケた時の、この世のものとは思えぬほどの気持ち良さも、逆にウケなかった時の、シーンとしていて背筋が凍るような感覚も、それぞれが強く体に焼きついていますから。中には、思い出すだけで恐怖体験というような噺もあるんです(笑)。でも今こそ、稽古時間をたっぷり取って、その噺にチャレンジしていきたいなと思っています。
先日、その思いを胸に「青菜」「井戸の茶碗」などを演じていらっしゃいましたね。
最近の高座風景花緑 そうなんです。その時は5日間ほど稽古期間を取ったんですが、本当はもう1日2日欲しかったくらいでしたね。とにかく今、稽古時間を取るということを、心から欲しています。それともうひとつ、これはもしかすると「手掛けてみたい噺」という質問からは、ずれているかもしれないのですが、僕の中でね、「落語を生で観たことのある人が、爆発的に増える時代が来る」ことが大きな夢としてあるんです。爆発的に増えることを『ばれる』と言う時がありますが、その言葉を使うと『落語をもっとばらしたい』という大きな夢。落語を生で観たことのある人って、日本に今どれくらいいるだろうと考えた時にね、日本の人口を1億2000万人として、その1%は120万人。どう思います?日本人で落語を生で観た人、120万人いますかね?
瞬時に想像がつきませんが……。もしかしたら届かないかもしれませんね。
花緑 メディアが違うかもしれませんが、斜陽斜陽と言われつつも映画をどれくらいの人が観に行っているか、ガラガラなんて言われていても、野球やサッカーには毎回数千人、多い時は数万人も観客がいらっしゃるでしょう。そう考えると、生で落語を観たことのある人は、まだまだ少ないなあと。どんなきっかけでもいいから『一気に落語がばれないかな』と。もしもその日が来た時に、お客様の心をがっちり掴まえる実力を付けておきたいと。それが、今の僕の一番大きな夢かもしれません。
素晴らしい夢ですね。その日が来るように、三鷹の落語会も一歩一歩頑張りたいと思います。
花緑 考えてみると、三鷹ではもう15年以上ずっとお世話になっていますね。まずは、最初に出させていただいて、今もレギュラーの『寄席井心亭』は、あの広さでマイクを使わずに喋る会は、ここ井心亭と、先に述べたお蕎麦屋さん(藪伊豆)での会くらいになりましたから、本当に貴重ですね。立地条件は悪いですが、手作りな感じがしてね、味がありますよね。特にお客さんとの距離が近いので、小声で演じたい部分もちゃんとお客さんに伝わっているという安心感があるので、演じていて嬉しいですね。大きいホールだと、どうしても一番後ろのお客さんに声をぶつけるように喋ることを意識してしまったり、マイクからはずれないように喋ることを注意したりしなければいけないので、伝わっているかなあと不安になる時もあるんです。その点、井心亭での落語は、自分の出したい通りの声の大きさで喋れるので、ありがたいですね。そして三鷹市芸術文化センター星のホールも、250席と、ホールとしては落語をやるのにサイズが丁度良いですし、天井が高くて解放感もあるので、本当にやりやすいですよ。星のホールも「お客様に伝わっているな」という気持ちがして、嬉しいですね。
ありがとうございます。その星のホールでの独演会が、3月21日に開催されます。最後に、花緑さんからお客様へのメッセージをお願いします。
花緑 その日、自分が一番お客様に聞いていただきたいと思う噺を、たっぷりと楽しんでいただけたらと思っています。ただ、今はまだ3月21日にどういう気分なのかわかりませんが(笑)。ですので、まずはその日健康でありますように。風邪をひいたりしませんように。いずれにしても、しっかり稽古した噺を、心を込めて語りたいと思います。ぜひ、聴きに来てください。