西遊記《少年西遊記》 1956-57年 『おもしろブック』別冊付録(集英社)
(左)ちび丸《ドロンちび丸》表紙原画 1956年 29.8x22.2
(右)《猿飛佐助》カラー原画 1988年 ペップ出版 32.2x24.4

(左)《刺青》原画 1995年 『Giry』講談社 21.5x14.5
(右)《猿飛をにがすな》原画 1988年
       『セイシュンのB級グルメ』文藝春秋 16.8x11.4

 すごろく《拳銃王 西部活劇冒険双六》 1953年
       『少年少女漫画と読物』1月号(新生閣)
 杉浦茂(すぎうらしげる)は、1908年東京本郷区湯島に医師の三男として生まれました。中学卒業後洋画を志し帝展(1930年)への入選を果たしますが、1932年<のらくろ>の作者田河水泡に入門、漫画家の道を歩き始めることとなります。
 同年、東京朝日新聞紙上において《どうも近ごろ物騒でいけねぇ》でデビュ−、以来『少女倶楽部』『少年倶楽部』『新少年』等で児童向け漫画を描きます。戦後は『冒険ベンちゃん』(1948-1950)、『アップルジャム君』(1950-1954)など少年ヒーローが活躍する作品を描き、中でも忍術を得意とする主人公を描いた『猿飛佐助』(1954-1955)や『ドロンちび丸』(1955-1957)、『少年地雷也』(1956-1957)は当時こどもたちの間で大人気となりました。60年代に登場するギャグ漫画の先駆的存在であったこれらの作品は、多くの漫画家に影響を与え、杉浦の代表作として現在も人気を博しています。
 60年代以降、その仕事は児童向けから青年向けのナンセンス漫画へと移行します。個性的なキャラクターをはじめ、特異なユーモアと超現実的なストーリー展開はますます顕著となり、その独自の世界は、追随する模倣作家の登場を許しません。漫画界にとどまらない様々な分野で活躍する人々からも、作品の根底にある時代を超越した洒脱性ゆえに絶大な評価を得ています。
 80年代以降には再び脚光を浴び、そのキャラクターは様々な場面で用いられるなど、まさしく時代と世代を越えて支持され続けた漫画家と言えるでしょう。
 本展は、1955年から逝去する2000年までのあいだ三鷹市井の頭に居住して制作活動を続けた杉浦茂の初の回顧展として、原画や掲載誌の展示、アトリエ再現などを通じ、今なお新鮮味を失わない杉浦茂の世界を多面的に紹介するものです。なにはともあれ、きてみてちゃぶだい。

(左)桜桃《桜桃》原画 1980年 36.9x27.2
(右)《猿飛佐助》原画 1969年 『猿飛佐助』虫プロ商事
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