ジョアン・ミロは1893年、スペインのバルセロナに生まれました。息子を商人にしたいと願う両親のもとで育てられたミロですが、いったんは就職したものの仕事になじめず、病気になってしまいます。田舎にある農場で病気の回復期を過ごすことになったミロ。そこで目にしたスペインの表情豊かな自然は、若いミロを圧倒しました。一心不乱にスケッチに励む彼の姿を見て、両親は息子が画家をめざすことを許したのでした。 |
1920年、初めてフランスを訪れたミロの目に映ったのは、当時、芸術の都とうたわれたパリの華やかなアートシーン、そして、画家のピカソやダリ、小説家のヘミングウェイといった同年代の若い芸術家たちの輝きでした。美術や文学を志す仲間との交流のなかで、ミロは次第にその才能を認められるようになってゆきます。従姉妹のピラールとの結婚、アメリカでの個展の成功。彼の充実した暮らしに影を落としたのは、スペイン内乱と第二次世界大戦の勃発でした。 |
1940年、ドイツ軍の侵攻から逃れるようにしてミロが移り住んだのは、故国スペインのマヨルカ島でした。「地中海の宝石」ともよばれるマヨルカ島は、妻ピラールの生まれ故郷であり、ミロの母の生まれ故郷でもありました。故国を破壊した戦争への怒りと悲しみ、自らの名声に対する疑問、新しいことに挑戦しつづけたいという情熱、ミロのこうした感情のすべてを、マヨルカ島の青い空と海は受け入れてくれました。 |
「私は大きなアトリエを夢見る」としばしば口にしていたミロ。1956年、ミロはマヨルカ島に念願の大きなアトリエを構えました。こうしてマヨルカ島は、ミロにとって特別な場所になったのです。 |
1981年、ミロはアトリエとそこで制作された作品の数々をマヨルカ島パルマ市に寄贈し、マヨルカ島ミロ夫妻財団が誕生することになりました。今回の展覧会では、このミロ夫妻財団の所蔵する油彩画、版画、素描、彫刻をご紹介するとともに、ミロが収集したマヨルカ島特産の民芸品も併せて展示し、ミロの創作の原点に迫ります。 |
地中海に浮かぶ光の島、マヨルカ島で、のびのびと制作された作品を通して、ミロが後半生にみつけた本当の豊かさをぜひご覧下さい。 |