![]() |
![]() ‥‥150年前、フロベールと共に中近東に向かった若き デュ・カン。125点の写真によるその旅の記録‥‥ ![]() |
|||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
19世紀初頭、ナポレオンのエジプト遠征によりエジプト研究が盛んになったことを背景にして、ヨーロッパの文学者にとってオリエント地域は空想の対象として魅力的な場所でした。フランスの文学者マクシム・デュ・カン(1822〜1894)は、東方旅行に出ることを計画し、遺跡や光景の正確な再現を可能にしてくれる手段として、誕生して間もないカメラに着目し写真術を学びます。彼が手に入れたのは、現在のネガの原理を用いた初めてのカメラでした。 | ![]() イブサンブール、 ラメセス2世大神殿、 西側の巨像(ヌビア) |
1849年、27歳のデュ・カンは友人のフロベール(後に『ボヴァリー夫人』や『感情教室』で有名となる作家)と共に中近東への旅に出発します。彼は約1年にわたる旅で2000枚に及ぶ写真を撮影し、帰国後そのうち125点を選んで写真集『エジプト・ヌビア・パレスチナ・シリア』を発表しました。彼らは政府の調査官としての公式旅券を申請してこの旅に臨んだため、それらの写真は考古学的資料として十分に機能するよう考慮されています。建造物の規模と配列がわかるようにと、遺跡は正面から全体像を捉え、レリーフや碑文はかなり近い距離から細部までを撮影しています。その中には、当時はその一部が砂の中に埋もれていたルクソールの遺跡や、逆にその後崩壊してしまった建物など、現在とは異なる風景も含まれています。 | |
その時代のカメラは現像までに細心の注意を要し、かなりの技術と時間が求められました。また機材一式や化学液などをロバやラクダで壊さずに運ぶことも一苦労で、デュ・カンはそのために特製の宝箱を作らせました。そうして持ち帰った作品は、エジプトの考古学写真の先駆けと位置付けられ、彼はレジオン・ドヌール勲章等を授与されて高い評価を得ました。 | |
これらの写真は写真史の第1歩として大変貴重ですが、掲載されている125枚の写真すべてを一堂に展示するというということは日本では今回が初めてであり、世界でもほとんど例を見ない機会と考えられます。 | |
デュ・カンが写真家として活動したのはこの1年間に過ぎないのですが、彼の残した写真はその構図、フレーミングの美的センスにおいて非常に優れており、白黒写真特有の陰影があざやかに見られ、その完成度の高さは、写真の専門家達も一致して認めるほどです。どうぞこの機会にデュ・カンと共に150年目のオリエントへの旅をお楽しみください。 |
![]() ラメセス2世大神殿、 東側の巨像 (イブサンブール、ヌビア) |
![]() スフィンクスの正面像 (中エジプト) |
![]() 神殿内部列柱群 (テーベ、エジプト) |
![]() スルタン・ハサン・モスク (カイロ、エジプト) |
Photo, courtesy of G.I.P. Archives |
<< 図録の紹介 | ![]() ![]() ![]() |